10月7日(土) 都立高校入試理科 ニュートンとアインシュタイン 

1665,66年と1905年のアニュス・ミラビリスについて

アイザック・ニュートンとアルベルト・アインシュタインは、自然科学の歴史において、それぞれの「アニュス・ミラビリス」(驚異の年)を持っています。これらの時期は、彼らがその後の科学界に深い影響を与える発見を行った年であり、それぞれの業績を詳しく見てみましょう。

アイザック・ニュートンのアニュス・ミラビリス: 1665-1666

この期間中、ニュートンはケンブリッジ大学を休学中であり、ペストの流行のために故郷のウールストァープ・マナーで過ごしていました。彼はこの短期間中に以下の主要な業績を達成しました:

微積分の発展:微分と積分の基本的な理念を築き上げ、微積分の基礎を打ち立てました。

光の性質に関する研究:プリズムを使って日光を分光し、白い光が異なる色の光の混合物であることを示しました。

万有引力の法則の概念:地球上の物体が落下するのと同じ原理で、天体が動く理由を考察しました。これは後に彼の「自然哲学の数学的原理」で詳しく述べられました。

アルベルト・アインシュタインのアニュス・ミラビリス: 1905

1905年、アインシュタインはスイスの特許庁に勤務していましたが、この年に彼は4つの画期的な論文を発表しました:

光量子仮説:彼は光の粒子的性質を提唱し、このアイディアは後に量子力学の基盤となりました。

ブラウン運動の説明:分子のランダムな動きを数学的に説明し、この運動は実際の物質の原子構造の証拠とされました。

特殊相対性理論:彼は物体の動きと時間・空間との関係を完全に新しい方法で解釈しました。

質量とエネルギーの等価性:有名な式 E=mc² を導入しました。

これらの年は、ニュートンとアインシュタインがそれぞれの分野で革命的な業績を達成した年として、科学史における「アニュス・ミラビリス」と認識されています。

1665年のヨーロッパの史実

1665年はヨーロッパの歴史において、多くの出来事と変動があった年でした。以下はその年の主な史実をいくつか挙げます:

ロンドンの大ペスト:

1665年は「大ペスト」の年として特に知られています。この疫病はロンドン市内で大流行し、死者はおよそ10万人とも言われています。これは当時のロンドンの人口のおよそ4分の1に当たる数でした。

アンガロ・オランダ戦争:

1665年は、アンガロ・オランダ戦争の中でも特に激しい戦闘が行われた年でした。特に、この年の6月には、英国とオランダの間で「ロースト戦」が行われ、英国が勝利しました。

科学革命の進行:

1660年に設立されたロイヤル・ソサエティ(王立協会)は、1665年に科学論文を発表する学術誌「フィロソフィカル・トランザクションズ」の最初の号を発行しました。これは、科学的な研究と発見を広めるための重要な手段となりました。

フランス:

ルイ14世の絶対王政が強化されていく中、彼の宰相ジャン=バティスト・コルベールは、経済や財政の改革を進めてフランスの国力を増強しました。

文学:

サミュエル・ピープスは1665年も彼の有名な日記を綴り続けており、ロンドンの大ペストや日常生活、政治的な出来事についての貴重な情報を残しています。

これらの出来事は、1665年のヨーロッパにおいて政治的、社会的、科学的、文化的な動きを示すものです。

1905年のヨーロッパの史実

1905年はヨーロッパにおいても多くの重要な出来事が発生した年でした。以下はその主な史実のいくつかです:

ロシアの1905年革命:

ロシア帝国における政治的・社会的な不満が高まり、1月22日の「血の日曜日」として知られる事件をきっかけに、一連のストライキ、デモ、反乱が帝国全土で発生しました。この革命は結果として、帝国議会(ドゥーマ)の設立をもたらしました。

ノルウェーの独立:

ノルウェーはスウェーデンからの独立を宣言し、その後の同意により平和的に独立国として認められました。同年の終わりに、ノルウェーはデンマークの王子カールを新しい国王ホーコン7世として迎えました。

ドイツのモロッコ危機:

ドイツはモロッコの独立を支持し、フランスのモロッコに対する影響力を挑発する事件が発生しました。これはドイツの皇帝ヴィルヘルム2世がタンジールを訪問した際に起き、ヨーロッパの大国間の緊張を高めました。

アルバート・アインシュタインの相対性理論:

科学の世界では、アインシュタインが特殊相対性理論を発表しました。これは20世紀の物理学において革命的な発見となりました。

これらの出来事は、1905年のヨーロッパにおいて政治的、社会的、科学的な変革の兆しを示すものでした。