養老先生の「人間の情報化のいきつくところ」の命題は、現状において学者にとって最大の関心だと思います。
人間について語るうえでは、ハイデガーの作品の題名の、「存在と時間」が大切になります。
「存在」とは何か、存在を認知するにはどうすればいいか、それは、「経験」と「理性」の両立が重要になります。
「理性」とは、「等価交換」できるもののことです。
現代のSNSなどについても、たとえフェイクがあると言えども、それは理性の一部分であると言えます。
21世紀は、徹底的に等価交換できる理性が第一に考えられてきました。
その中で、置き忘れられているものは、人間の「経験」や「情緒」といったものです。
「情緒」とは、古来から日本人が大切にしてきた、「美意識」を感じることです。
「美意識」とは、人間の内側から滲み出てくる感情を大切にすること、
その滲み出てくる感情から、和歌が生まれ、俳句が生まれてきました。
こうした古来の日本人の伝統と、人間の情緒が大切であると、養老先生はおっしゃっています。
現代がますます理性化していくことで、人間の情緒が置き忘れられていると、警鐘を鳴らしています。
スマホを片手に、情報を仕入れるばかりでなく、自分自身の情緒、感情を大切にすることができる生徒を、
日比谷高校では求めていると考えられます。