そのまま写すこと
そのことが、本当に難しいと感じています。
生徒たちにテストを行ったとき、私はすぐさま採点します。
この子は何を間違えているのかと、答案を見ると、
たいていそのまま写すことや、筆算することに、ミステイクが良くあります。
回答欄がずれている、同音異義語を間違える。
それはそれは事細かなことを申し上げれば、
いろいろと散見されます。
先日は思い切って、生徒に問うてみました。
「なぜ君は、この問題をそのまま写すことができなかったのか?」
恐らく考えてもいない、聞いたことのない質問だったのでしょう。
呆然としていました。
実をいうと、この明鏡止水な気持ちで問題にあたるというのは、
なかなか難しいものです。
「え、なんでだろう。なんで間違えたんだろう。」
素っ頓狂な顔をした彼は聞いてきました。
「どうすれば改善できるのですか?」
小生意気な私は、
「実をいうと、問題を解く前に君はもう負けているんだよ」
と言いました。
「どういうことですか?」
「だって君は、この問題を易しいと感じただろう。
易しいと思ったとき、もう慢心がはじまっているんだよ。」
この世の中のすべての事象や、生きる姿勢というのは、
何一つ簡単なものはありません。
もっと言うなら、簡単な問題ほど難しいのでしょう。
しかし若き少年たちは、見た目で易しい難しいを判断し、
易しいと思った瞬間に、姿勢が崩れ、
どれだけ早くその作業をクリアするのか、
ということに専心し、
「先生できました」といっては敗れ去っています。
低得点で悩まれている場合、
まさしくこの慢心という言葉で片付けられるでしょう。
なぜ昔の人は、般若心経を写本したのでしょうか?
江戸城を無血開城した、勝海舟は、
欲しかったオランダ語の本を2冊綺麗に写本し、
一冊を売りさばいて、もう一冊を借金にあてたという逸話があります。
写本、暗唱、素読、
こういった簡単明瞭なことこそ、
実は難解で厄介なことです。
何も複合的な応用問題等を解くことだけが勉強というのではありません。
ある有名な経営者が、
「一番難しい顧客を説得できれば、必ずこの仕事は成就する」
といっていました。
私はハラハラしながら、その答えを見たく、ページをめくりました。
この世の中で一番難しい顧客とはだれか?
読者の皆様は誰だと思いますか?
それは自分自身です。
自分で自分を説得できること。
大変深淵なるテーマだと思います。
そのまま写すというのは、実をいうと何千問もある問題の中で、
一番厄介な問題かもしれません。